「ピンク・ドリーム・ダイヤモンド(The Pink Dream Diamond)」

デビアス社が南アフリカで採掘した132.5カラットの原石は、発見後にシュタインメッツ社の手に渡りました。それから2年間、50回ものカットと研磨を施し、「シュタインメッツ・ピンク(The Steinmetz Pink)」が誕生しました。
「シュタインメッツ・ピンク」は、2003年にモナコで展示された後、2007年に個人売却され、「ピンク・スター(The Pink Star)」と改名されました。そして、2013年のサザビーズのオークションで、このオーバル・ブリリアント・カットが施された59.60カラット(タイプIIa)のビビッド・ピンク・ダイヤモンドが落札されました。オークションでの開始価格は4800万ドルで、当初は落札価格は6000万ドルと予想されていましたが、実際にはその最高値を大きく上回る8320万ドル(約74億円)で落札されました。その後、新しいオーナーによって「ピンク・ドリーム(The Pink Dream)」と改名されました。
「フロレンティン・ダイヤモンド(The Florentine Diamond)」

「フロレンティン・ダイヤモンド(The Florentine Diamond)」は、淡黄色でごくわずかな緑色を含んだ、インド起源のダイヤモンドです。重さは137.27カラットあり、不規則な9面の126ファセットのダブルローズカットの形にカットされています。かつてメディチ家のイエローダイヤモンドだったという伝説があります。
様々な人の手に渡ってきたこのダイヤモンドは数々の名称があり、「トスカーナ(the Tuscan)」、「トスカーナ・ダイヤモンド(the Tuscany Diamond)」、「トスカーナ大公(the Grand Duke of Tuscany)」、さらには「オーストリアン・イエロー・ダイヤモンド(the Austrian Yellow Diamond)」と呼ばれた時代もありました。「フロレンティン・ダイヤモンド」という名前は、メディチ家が何代にもわたって支配していたイタリアの都市、フィレンツェにちなんで付けられ、15世紀または16世紀にインドで発見されたと言われています。
16世紀後半に、ポルトガルのゴア総督、ルドヴィコ・カストロ(the Portuguese Governor of Goa, Ludovico Castro)が南インドのヴィジャヤナガル王(the King of Vijayanagar)から原石を入手し、メディチ家の元に渡りました。その後、ローマに渡り、イエズス会に託されたとされています。 また、カストロが原石を入手したとされる約100年前に、ブルゴーニュ公シャルル・ザ・ボールド(Charles the Bold, Duke of Burgundy)がこの原石を購入したとする説もあります。そして、カットされてからは、ボールドが首から下げてペンダントとして身に着けていたと言われています。
現在は、80カラットに再カットされたと云われていますが、所在や残りのダイヤモンドがどうなったかは不明のままです。
「カーン・カナリー・ダイヤモンド(The Kahn Canary Diamond)」

「カーン・カナリー・ダイヤモンド(The Kahn Canary Diamond)」は、4.25カラットで三角形の枕形をしたダイアモンドです。この生き生きとしたイエローダイヤモンドは、1977年にアーカンソー州のダイヤモンド・クレーター州立公園(Crater of Diamonds State Park)でアーカンソー州カーセッジ出身のジョージ・ステップ氏(George Stepp)によって発見されました。その後、アーカンソー州のカーン・ジュエラーズ(Kahn Jewelers)に売却され、現在に至ります。
このダイヤモンドは、1993年に指輪として取り付けられ、ビル・クリントン(Bill Clinton)が当時アーカンソー州知事として就任された際、そして米国大統領としての就任式で二度、妻のヒラリー・クリントン(Hilary Clinton)が着用したことで知られています。指輪に装着された今も、カットされずに発見当時の自然な姿をキープしている「カーン・カナリー・ダイヤモンド」は、アーカンソー州の自然を表すシンボルとして親しまれています。
また、このダイヤモンドが発見されたクレーター州立公園では、一般の人々も有料でダイヤモンドを採掘することができ、1977年に一般公開されて以来33,000個以上のダイヤモンドが発見されています。この公園で発見されたダイヤモンドは、家に持ち帰ることができます。
「アグラ・ダイヤモンド(The Agra Diamond)」

15世紀のインドで誕生した「アグラ・ダイヤモンド(The Agra Diamond)」は、インドの都市アグラにちなんで名付けられた、世界最大級のピンクダイヤモンドの一つです。この28.15カラットでVS2クラリティを持つファンシー・ライト・ピンク・ダイヤモンドは、世界で5番目に大きなピンクダイヤモンドとして知られています。「アグラ・ダイヤモンド」よりも大きなダイヤモンドは、「ダルヤーイェ・ヌール(Darya-i-Noor)」、「ヌール・ウル・アイン(Noor-ul-Ain)」、「ピンク・ドリーム(The Pink Dream)」、そして「プリンシー・ダイヤモンド(Princie Diamond)」のみです。
「アグラ・ダイヤモンド」の最初の所有者は、グワーリヤルのラジャ一族で、後にムガル帝国のバーブルに、自分たちの命を助けてくれた感謝の印として手渡されたそうです。バーブルが所有していた時代からイギリスに渡るまでの間に、このダイヤモンドは数々の所有者がいたと推測されていますが、正確な詳細は明かにされていません。イギリスに渡って以降は、パリのダイヤモンドディーラーのブラム・ハーツ氏(Bram Hertz)がブランズウィック公爵(Duke of Brunswick)から譲り受け、当時の41カラットから31.41カラットにリカットしました。そして、1891年に作家であり宝石商であったエドウィン・ストリーター(Edwin Streeter)が、約22,000ドル相当の真珠のネックレスと現金約1,500ドルで、このカットし直したダイヤモンドを交換しました。その後1990年に行われた、あの有名なクリスティーズ・ロンドン・オークションでは、香港のSibaコーポレーションが695万ドルという驚異的な価格で落札しました。
「パンプキン・ダイヤモンド(The Pumpkin Diamond)」

鮮やかな色彩を放ち、副色として黄色を伴うことが多いオレンジ色は、世界で最も希少なダイヤモンドカラーの一つであり、それに見合うだけの価格がついています。そして、ファンシー・ビビッドという種類は、どの色のダイヤモンドでも高い評価を受けます。この「パンプキン・ダイヤモンド (The Pumpkin Diamond)」は、世界一大きなダイヤモンドではありませんが、色と、色の評価の希少性を組み合わせることで、最もレアなダイヤモンドの一つとされました。
「パンプキン・ダイヤモンド」は、5.54カラットのファンシー・ビビッド・オレンジでクッションの形をしたダイヤモンドです。原石は、茶色がかったオレンジ色で11.00カラットありました。1997年に南アフリカで採掘されましたが、原産地は不明のままです。初代の所有者は農民であったため、沖積鉱床で発見されたと推測されています。
この原石は、ウィリアム・ゴールドバーグ・ダイヤモンド社(William Goldberg Diamond Corporation)のウィリアム・ゴールドバーグ氏(William Goldberg)によってカット・研磨されました。研磨が開始すると、驚くほど独特で強烈なオレンジ色が現れ、GIA(米国宝石学会)は当時、「パンプキン・ダイヤモンド」を、世界最大級のファンシー・ビビッド・オレンジ・ダイヤモンドの一つと評価しました。
では、なぜパンプキンという名前がついたのでしょうか。1997年10月30日、ハロウィンの前日に、サザビーズのオークションでハリー・ウィンストン家(Harry Winston)のロナルド・ウィンストン(Ronald Winston)がこのダイヤモンドを130万ドルで落札しました。ハロウィンのシンボルといえば、カボチャを怖い顔に彫り、中にロウソクを入れたジャック・オ・ランタンでありますが、ダイヤモンドの形と色、そしてハロウィンの前夜に購入されたことを考え、「パンプキン・ダイヤモンド」という名がついたと言われてます。
ロナルド・ウィンストンとフィリップ・ブロック(Phillip Bloch)がデザインした「パンプキン・ダイヤモンド」の指輪は、両端に小さなホワイトダイヤモンドがセットされていて、女優のハル・ベリー(Halle Berry)が2002年のアカデミー賞で、映画「モンスターズ・ボール(Monster’s Ball)」の主演女優賞を受賞した際に身に着けていたものです。そして、このダイヤモンドは、2003年にスミソニアンの「Splendor of Diamonds」展で展示され、2005年3月に匿名買主に300万米ドル強で売却されたと言われています。
「ロブ・レッド・ダイヤモンド(The Rob Red Diamond)」

「ロブ・レッド・ダイヤモンド(The Rob Red Diamond)」は、0.59カラットのペア形をしたファンシー・インテンス・レッド・ダイヤモンドで、クラリティグレードはVS 1を有しています。所有者であるロバート・ボーゲル(Robert Bogel)にちなんで名付けられたこのダイヤモンドは、ブラジルで発見されたと推定されています。また、ファンシーカラーの専門家は「ロブ・レッド・ダイヤモンド」について、 「これまで鑑定した中で、最も彩度が高く純粋なレッドダイヤモンド」 と評価しました。
レッドダイヤモンドは、他のカラーダイヤモンドに比べ、発見される数も少なく、また発見時既に非常に小さいことから、地球上で最も希少なダイヤモンドと言われています。「ムサイエフ・レッド(The Moussaieff Red)」の5.11カラットがレッドダイヤモンドの中で最大級とされていて、3カラットを超えるレッドダイヤモンドも世界に3つしかありません。
多くのカラーダイヤモンド同様、ファンシー・レッド・ダイヤモンドは、純粋なレッドのみ、もしくはパープリッシュ、ブラウニッシュ、オレンジッシュなど2つの色合いを有していますが、インテンシティーレベルはファンシーレッドの1つしかありません。現在採掘されているレッドダイヤモンドのほとんどは、西オーストラリア州キンバリー(Kimberley, Western Australia)にあるアーガイル鉱山(Argyle Mines)で産出しています。現存するレッドダイヤモンドの中で唯一、「ロブ・レッド・ダイヤモンド」だけは、ファンシー・インテンス・レッドの最高グレードを有していて、最も彩度が高く透明感のあるレッドダイヤモンドと評価されています。
「ドレスデン・グリーン・ダイヤモンド(The Dresden Green Diamond)」

ペア形の「ドレスデン・グリーン・ダイヤモンド(The Dresden Green Diamond)」は、重さが40.70カラットあり、これまで発見された天然グリーンダイヤモンドの中で最大かつ最高級のものとされました。1988年にGIA(米国宝石学会)が鑑定したところ、非常に優れた品質であることが判明し、このダイヤモンドを少しカットし直して表面にあるインクルージョン(内包物)を除去すれば、クラリティグレードはVS1からインターナリーフローレス(IF)にアップグレードする可能性があるとされました。また、対称性と研磨具合も非常に素晴らしいもので、18世紀職人のカット技術の高さを物語っています。このダイヤモンドの優れた点はもう一つあり、グリーンの色がダイヤモンド全体にほぼ均一に分布していて、これは非常に珍しいことだと言われています。
「ドレスデン・グリーン」は、18世紀初頭にインドで発見されたと推測されています。ロンドンの有名なダイヤモンド商人マーカス・モーゼス氏(Marcus Moses)がインドでカット・研磨したものを購入し、イギリス国王ジョージ1世(King George I)に1万ポンドで売却するつもりでしたが、ダイヤモンドの素晴らしさに大変感動しつつも、購入までには至りませんでした。そして、1741年のライプツィヒ見本市で、フレデリック・アウグストス2世(Duke Frederick Augustus II)が40万ターラーで購入しました(ターラー:ヨーロッパで16世紀から数百年間使用されていた大型銀貨)。その後、1768年にこの「ドレスデン・グリーン」は帽子の留め具としてセッティングされ、現在もそのデザインのまま展示されています。
「ドレスデン・グリーン」の名前は、ドイツ・ザクセン州の州都であるドレスデンに由来しています。第二次世界大戦後の一時期を除き、ドレスデン・グリーンは常にドレスデンのアルベルティ―ヌム美術館(Albertinium Museum)に展示されていましたが、現在は、ドレスデン城内の「緑の円天井(Grünes Gewölbe)」という部屋で展示されています。
「ブルー・ハート・ダイヤモンド(The Blue Heart Diamond)」

「ブルー・ハート・ダイヤモンド(The Blue Heart Diamond)」は、世界最大級で最も有名な天然ブルーダイヤモンドの一つです。ファンシー・インテンシブ・ブルーまたはファンシー・ビビッド・ブルーと呼ばれる深い青色を誇り、希少なタイプIIbと評価されています。ファンシー・グレイッシュ・ブルーの35.27カラットの「スルタン・オブ・モロッコ・ダイヤモンド(The Sultan of Morocco)」に次いで、5番目に大きなブルーダイヤモンドです。
このダイヤモンドは、かつて多くのダイヤモンドが産出されるインドが原産地であると言われていましたが、1908年11月に南アフリカで発見されたことが近年判明しました。当時、原石は102カラットという驚異的な大きさで、フランスの有名なカッティング会社がカットと研磨を経て、30. 62カラットのハート型の「ブルー・ハート・ダイヤモンド」が誕生しました。後に、カルティエの手にわたり、「Lily of the Valley」と呼ばれるコサージュの一部となりました。
そのコサージュをアルゼンチンのウンズー婦人(Mrs. Unzue)が購入し、1953年まで使用されました。43年間このダイヤモンドを所有していたウンズー婦人にちなんで、「ウンズー・ダイヤモンド(The Unzue Diamond)」とも呼ばれるこの「ブルー・ハート・ダイヤモンド」は、その後宝飾ブランド、ヴァンクリーフ&アーペル(Van Cleef&Arpels)に売却され、25個の無色ダイヤモンドに囲まれたブリリアント・ペンダントとなりました。
ヨーロッパのある家族が、このペンダントとネックレスを、総額30万ドルで購入し、後に、ハリー・ウィンストン(Harry Winston)がこの宝石を入手し、プラチナリングにセットした後、マージョリー・メリウェザー・ポスト(Marjorie Merriweather Post)に売却しました。これほど多くの人が所有したダイヤモンドは珍しいと言われています。様々な形で、数多くの所有者に愛されてきた「ブルー・ハート・ダイヤモンド」は、1960年代に、ポスト夫人がワシントンDCにあるスミソニアン学術協会に寄贈し、現在もそちらで展示されています。